いくつかのいじめを深刻にした原因

・けなす文化

多くの日本の言葉にあるように、自らの社会的地位、立場などを示す場合に自らをけなす。
はてブ界隈で言うと非モテであるとかそんなくねくねのようなもの
そしてそれ故に他人を「正しくしかる(けなす)技術」に欠ける

・ほめない文化

日本人は欧米と比べ”褒める”という行為について非常に消極的でありほめることが出来ない、すべては「当然」であり「出来なくてはならない」よって「正しく褒める技術」にも欠ける

・ディスカッションや厳格なルールを持たない「暗黙の了解」という文化

暗黙の了解のままでは時の流れとともに情報が形骸化していく。何故「○○をしてはいけないのか」「○○をしなくてはならないのか」明確な説明を日々広報する必要がある。

以上、ぼくが世の中の先生に考えてもらいたいこと

井の中の蛙大海を知らず」というかたちで教師の社会経験が批判されていますが必ずしもぼくは、そうは思わない。短絡的には社会の経験ルールが足りないといわれ批判を受けるかもしれない、しかし「井の中の蛙大海を知らず されど空の高さ知る」という言葉もある。もし本当に賢い教師であれば、子供にとっての学校とは「彼らの知りうる社会のすべて」であり、教師であるあなた方はその社会の中で唯一彼らを導ける立場であることを理解しているはずだ。そのための子供たちを「褒め」「叱る」という行為はおのずと生まれてくるものだと考える。*1

いじめの現場に立ち会う教師の言葉としての「家庭教育」はその場には及ぶはずも無く、無能な馬鹿教師がいじめられる子供を救えないのならば親としてとりうる手段は「子供を社会から隔離する」もしくは「事実を理解させがまんさせる」しかないのである。
教育基本法*2うんぬんは結構ここら辺も関係あるような気もしなくも無いと思ったかも

と、いじめる側からいじめられて精神がおかしくなる直前までいろいろ経験してきたぼくの感想
まぁ、まだ子供もいないしどうでも良くないけどどうでもいいや、本当にしっかりやってる先生にとっては迷惑以外のなにものでもないね

ご意見ご感想等は出来るだけレスしますのでコメントにでもどうぞ

*1:一言でいうならばプロ意識が足りないといわざるを得ない

*2:巷で言われる教育の主権以前に改正案の文言を読んで感じたのは「つとめる」から「つとめて、その上で実現」のように暗黙だった部分の明示化が進んだように思える